やたらに、ゆとり。

しれっと徒然なるままに書く人。

ツレヅレなるままに⑨ 迷宮入り


なーがれーるきーせつーのまーんなーかにー

ふーとひーのなーがさーをーかんーじますー

そんな日ですね。

 

レミオロメン「3月9日」が離れない1日も、もう宵の刻です。

 

 

今日は、結構、かなり、ずっと、忙しくて。
こうしてものを書いていると、ピアノ線のように張り詰めた神経がほぐれていくような気がする。

 

最近、ふとしたときに考えるのは決まって、私はどうして書くのだろう、ということ。


何のために、誰がために書くのか。
自分のため?
自分を示すため?


私はこんなことを思っています、私はこんなことに悩んでいます、私はこんなことを望んでいます。
私は、私は、私は。



私、を特別だと思いたい。思い込みたい。

そんな特別な私を、知ってほしい。

特別でありたいから共感はいらない。

 

 

こんな考えでした。

 

 

 

それでも、ある時。

 


私は、特別な考えを持った人でもないし、こんな悩みを持っている人なんて両手じゃ足りないほどいるだろうし、こんな望みを持つのは特別なことではない。


と、気づいた。

 

 

書く仕事をしたい人なんて、何千万人もいる。
努力をしている人だって、何百万人もいる。
その中のいてもいなくてもどうでもいいほどの、ただの「誤差」な存在である、私。

 

 

書くことで生きていきたいなら、何のために書くのか。
このことについて、深く鋭く考えていかなければならないな、と。

 

 

瞳を閉じればあなたが瞼の裏にいることで

どれほど強くなれたでしょう

あなたになって私もそうでありたい

 

「3月9日」を引用するのなら、私はそんな文を書いていきたい。

 

瞳を閉じると瞼の裏にいるような、そんな寄り添える文章を。


これはあくまで、今の所。

 

書きたいと思い続ける限り。
これからも、この迷宮に生きるだろう。
「私」を抜け出し、タガタメに文章を書くのか。


この迷宮は、正直息苦しくもあるが、楽しいと思っているのも、確か。