やたらに、ゆとり。

しれっと徒然なるままに書く人。

優雅な休日、よくわからん持論について

 


こたつでぬくぬくする他に予定のない休みの日には、

ほんの少し丁寧にお化粧して、

好きな洋服を着て、

カバンに本とノートとシャーペンを突っ込み、いざGO TOウメダ。

梅田駅と大阪駅はおんなじみたいなもんやで!(大阪人曰く)

とは言え少し距離がある。

大阪駅直結のLUCUA1100に行きつけ本屋さん、蔦屋書店がある。

なんとも洒落た場所!

ソイラテを一番大きなサイズで注文。

はちみつを溶かす。

 


(このところは感染性疾患予防としてカウンターにはちみつが置いていない、店員さんに頼めば別の紙コップにはちみつを注いでくれるが)

(どのタイミングで頼めばいいかわからなくなり、はちみつなしのときも屡々……)

(人見知り直したい)

 


席に着き、しおりを辿って本の世界へ。

 


途中ふと涙が出てしまいそうになり

(先日は西加奈子『i』で、ほぼ泣いていた)

あ、ここ家ちゃうかったわと我にかえる。

物語に意識を戻すとやっぱり滲んでくる。

これを何度も繰り返して、3時間、ぶっ通し読書。

 


すっかりかもめの形にしなった本を閉じ、

じんわり溢れてくる色々をぬるくなったソイラテもろとも飲み込む。

 


ぐずぐずだらけて、こたつと一体化するだけの休日は、

こうして最高の休日に化ける。

 


読書スタイルは人それぞれで、

私はいつも、本を読むときは音楽を聴く。ジャンルはおおかたK-POP

普段は邦楽だけれど、本を読むときはすすんで聴かない。

これは、

「日本語を聴きながら日本語『する』のは集中できない」

という大学時代の試験期間に確立した持論によるものだ。

 


助詞、ら抜き言葉、依頼表現、

美禰子、ストレイシープ

もののあはれ徒然草

日本語どっぷりの大学時代、特に試験期間は

脳細胞総動員でもっぱら日本語を思考していた。

 


試験期間真っ最中日本語に敏感になっている状態。

こんなときに邦楽なんか聴いてしまえば……

 


「あの日のかなーしみーさえ、あの日のくるーしみーさえー」

 


むむ!

「さえ」は副助詞!

用法は「添加」「類推」「限定」!

「類推」っほいけど「までも」と言い換えられるから、

米津さんのLemonでは「添加」で使われている!!!!!……はずだ!!!

 


集中力がトリップしてしまうのだった。

 


だめだ、邦楽はよろしくないと判断した当時のわたし。

邦楽のほかにダウンロードしていたのは、TWICEのみ。

(めちゃめちゃに流行っていた、かわいい)

 


試しに聴いてみると、勉強がまあはかどる、進む!

驚異的な集中力で試験は上出来。

それからというもの、日本語ひたひたになる試験期間には

K-POPを聴きまくっていた。

(いまでもTWICEを聴くと焦燥感で背筋がぞわっとする、かわいいけど)

 


語弊があるかもしれないが、

歌詞の意味を考えず心地の良いビートや旋律に聴覚を預けられるK-POP

至高のBGM。

 


読書も同じくそうで、物語を追う目と想像力とは

別のところで耳が遊んでいてくれるから、

ぶっ通し読書にK-POPは欠かせないものに。

 


しかし、あることに気づいてからその集中力に疑念を抱くようになった。

 


目は規則正しく連なった文字を追って、

想像力は声、音、匂い、温度、色、感情を浮き彫りにさせ

日本語の美しさや並行し営まれる本の中の世界に惚れ惚れする。

 


純度高いそれを求めてK-POPを聴いている。

 


そのために別のところで耳を遊ばせているつもりだった。

それなのにいつのまにか耳にマブダチができていた。

 


そのダチとは、

足。

 


視覚は想像力を伴わせ、追体験真っ最中。

聴覚は運動神経を伴わせ、K-POPの踊りを足の指で再現しているではないか。

リズム刻むだけじゃなく。

TTのあの特徴的な振り付けを、DNAのあのうねうねって振り付けを

再現している。足の指で。

 


自身の感覚器官?の支離滅裂さに呆れてしまう。

こうして文章を打っているときにも、足の指は踊っている。

本当に落ち着きがない。

ウェアイズ集中力。

呆れる。

はあ。

 

 

何の話してたっけ。

優雅な休日の過ごし方について、

おしゃれな文章書くつもりが、

よくわからん持論についての話になってしまった。

 

今度、音楽なしで読書してみるね。