やたらに、ゆとり。

しれっと徒然なるままに書く人。

本の紹介ではない何か


こんな気持ちになると分かっていても『流浪の月』を再読した。

 

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いつだったか、良い本はすかさず報連相しあう友人に、『流浪の月』は「鬱な本」と紹介したことを思い出した。
ひとことでそんな形容をするのは、作品に対してあまりにも無礼で不誠実。
分かってはいる!
読んでほしくて紹介するのだから、「読んでもらえるような」言葉をもって作品の空気感を、それはもう、大切に大切に、伝えるよう心掛けている、普段は。

 

 

2020年本屋大賞受賞
愛ではない。
けれどそばにいたい。
新しい人間関係への旅立ちを描き、
実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説。
せっかくの善意を、わたしは捨てていく。
そんなものでは、わたしはかけらも救われない。
(単行本の帯より)

 

 

何に惹かれてこの本を手に取ったのか。
帯のことばにももちろん惹かれた。
でもそれ以上に、
なんとなくそれにそぐわない、苺のアイスクリームのかわいらしい写真が表紙に気を取られた。

 

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アンバランスやな、
帯のことば頭でっかちに感じるやん、
ギャップやな、
そこ月の写真とかちゃうん、
ねらったんか、
あざといな、
ギャップ萌えやな、
気になるな、
この作者はじめてやな、
おもろいかな、

 


おもろくあれ!!!!

 

 

謎の祈りを胸にレジ直行。
ほくほくで帰宅し、いざ『流浪の月』。

たしか3時間ぐらい、一息で、ぶっ通しで読んだ。

本を閉じる。

 


何これ。
なんやこの。

 

善意が悪意に、
事実と真実が交錯して、
都合の良い解釈が、
独りよがりの思いやりが、
渦巻く社会を全部、

バケツで頭からかぶったような、そんな、そんな気持ちになって、
腹を空かせた夕飯前の自分がなんとも呑気で能天気で無神経な生き物に思えて、
なんやこの、この心臓の底でぐるぐる重たいこれは、一体。

 

 

等身大の気持ちを等身大の語彙で表そうとした。
で、ぽろっとこぼれたのが「鬱」だったのです。
各位に申し上げます。ごめんなさい。本当に。そんな紹介された友人の身になってみい。だれが読みたい!てなるの。あほ。

 

 

というか、今キーボード叩きながら思ったことやけど、
私はこの本を、誰かに、本当に読んでほしいのか?


「こんな」気持ちになると分かっているのに?
「こんな」気持ちを体験してほしい変人?


あ、でも、なんとなく、辿りつく考えがぷかりと浮かんできた。

 

 

ひとつの物語、解釈は人の数だけ。
人の数だけ、物語が増える。
物語を愛する者として、そんなん、喜ばずにはいられない。


読んだ人がそれぞれどんな飲み込み方をしたのか知りたい。

 

本の紹介をすると、毎回一定数の本の虫たちが自分の「飲み込み方」を知らせてくれる。
それをむしゃむしゃとほおばって、自分の中の物語を貪欲に増やしていく。


物語が主食で、感想が食後のデザートの怪物かなんかか?


なんちゅう利己的な。


それでも、
この自分勝手な本の押し売りを嫌がらずに

(待って、嫌がってるかもしれないごめんなさい)
「前言ってた本読んだ!」と、急かさずとも連絡をくれる秀でた本の虫たちがいるおかげで、
一方通行じゃない悦びを知ってしまったせいで、
これからも、満腹と別腹をこよなく堪能していくのだろう。


本の紹介は、これからも止められないと思う。

 

優雅な休日、よくわからん持論について

 


こたつでぬくぬくする他に予定のない休みの日には、

ほんの少し丁寧にお化粧して、

好きな洋服を着て、

カバンに本とノートとシャーペンを突っ込み、いざGO TOウメダ。

梅田駅と大阪駅はおんなじみたいなもんやで!(大阪人曰く)

とは言え少し距離がある。

大阪駅直結のLUCUA1100に行きつけ本屋さん、蔦屋書店がある。

なんとも洒落た場所!

ソイラテを一番大きなサイズで注文。

はちみつを溶かす。

 


(このところは感染性疾患予防としてカウンターにはちみつが置いていない、店員さんに頼めば別の紙コップにはちみつを注いでくれるが)

(どのタイミングで頼めばいいかわからなくなり、はちみつなしのときも屡々……)

(人見知り直したい)

 


席に着き、しおりを辿って本の世界へ。

 


途中ふと涙が出てしまいそうになり

(先日は西加奈子『i』で、ほぼ泣いていた)

あ、ここ家ちゃうかったわと我にかえる。

物語に意識を戻すとやっぱり滲んでくる。

これを何度も繰り返して、3時間、ぶっ通し読書。

 


すっかりかもめの形にしなった本を閉じ、

じんわり溢れてくる色々をぬるくなったソイラテもろとも飲み込む。

 


ぐずぐずだらけて、こたつと一体化するだけの休日は、

こうして最高の休日に化ける。

 


読書スタイルは人それぞれで、

私はいつも、本を読むときは音楽を聴く。ジャンルはおおかたK-POP

普段は邦楽だけれど、本を読むときはすすんで聴かない。

これは、

「日本語を聴きながら日本語『する』のは集中できない」

という大学時代の試験期間に確立した持論によるものだ。

 


助詞、ら抜き言葉、依頼表現、

美禰子、ストレイシープ

もののあはれ徒然草

日本語どっぷりの大学時代、特に試験期間は

脳細胞総動員でもっぱら日本語を思考していた。

 


試験期間真っ最中日本語に敏感になっている状態。

こんなときに邦楽なんか聴いてしまえば……

 


「あの日のかなーしみーさえ、あの日のくるーしみーさえー」

 


むむ!

「さえ」は副助詞!

用法は「添加」「類推」「限定」!

「類推」っほいけど「までも」と言い換えられるから、

米津さんのLemonでは「添加」で使われている!!!!!……はずだ!!!

 


集中力がトリップしてしまうのだった。

 


だめだ、邦楽はよろしくないと判断した当時のわたし。

邦楽のほかにダウンロードしていたのは、TWICEのみ。

(めちゃめちゃに流行っていた、かわいい)

 


試しに聴いてみると、勉強がまあはかどる、進む!

驚異的な集中力で試験は上出来。

それからというもの、日本語ひたひたになる試験期間には

K-POPを聴きまくっていた。

(いまでもTWICEを聴くと焦燥感で背筋がぞわっとする、かわいいけど)

 


語弊があるかもしれないが、

歌詞の意味を考えず心地の良いビートや旋律に聴覚を預けられるK-POP

至高のBGM。

 


読書も同じくそうで、物語を追う目と想像力とは

別のところで耳が遊んでいてくれるから、

ぶっ通し読書にK-POPは欠かせないものに。

 


しかし、あることに気づいてからその集中力に疑念を抱くようになった。

 


目は規則正しく連なった文字を追って、

想像力は声、音、匂い、温度、色、感情を浮き彫りにさせ

日本語の美しさや並行し営まれる本の中の世界に惚れ惚れする。

 


純度高いそれを求めてK-POPを聴いている。

 


そのために別のところで耳を遊ばせているつもりだった。

それなのにいつのまにか耳にマブダチができていた。

 


そのダチとは、

足。

 


視覚は想像力を伴わせ、追体験真っ最中。

聴覚は運動神経を伴わせ、K-POPの踊りを足の指で再現しているではないか。

リズム刻むだけじゃなく。

TTのあの特徴的な振り付けを、DNAのあのうねうねって振り付けを

再現している。足の指で。

 


自身の感覚器官?の支離滅裂さに呆れてしまう。

こうして文章を打っているときにも、足の指は踊っている。

本当に落ち着きがない。

ウェアイズ集中力。

呆れる。

はあ。

 

 

何の話してたっけ。

優雅な休日の過ごし方について、

おしゃれな文章書くつもりが、

よくわからん持論についての話になってしまった。

 

今度、音楽なしで読書してみるね。

 

 

いざ書くとね

 

絶対読みたい!ってわけでもないけど、

5巻ぐらいまで律儀に買い続けて、

7巻を超えたあたりから惰性で買い続けて、

見ているだけ聞いているだけの中堅バラエティみたいな、

そんな漫画の最新刊(最終巻)が出ていて、

 

 

お、でてる

最終巻か、早いな〜

(あんまり面白くないけどなあ)

最後やし、買ってやろうではないか

 

 

 

と購入。

なんやかんやホクホクした気持ちで帰宅。

俗に言う「人をダメにするソファ」に沈む。

透明のビニルを破く。

ページの間にある広告を素早く抜き取る。

それらをゴミ箱へ。

 

 

ふう、

さて、最終巻たのしもう、キュンキュン急展開待ってるぜ!☆

 

 

 

そんな意気込みで読み進めていくと、なんだか。

なんだか不可解で。

不可解というか、不気味というか。

 

 

 

ん? 「別れよう」? この子らって付き合ってた? いつの間に?

 

 

とにかく、最終巻100頁余にわたってずっと何事も全て「急展開」だったのです。

 

海外に行くと言い出したり、

やっぱ行かない、一人暮らしすると言い出したり、

結果やっぱ行く! こんな風にまとまり、

〜何年後〜

空港にて、

会いたかった……!!!!

〜ハッピーエンド〜

 

 

……。

 

 

 

え、え、え、置いてけぼりなの私だけ?!

あまりにも支離滅裂すぎんか?!

いいよ海外いくのは、でもその過程とかさ?

その辺の葛藤とかさ?

醍醐味は?

「急展開」が雑すぎないか!!!!!

 

 

(高校生の恋愛ものに純粋にキュンキュンしづらくなってからは)

惰性ではあったけど、律儀に買い続けたイチ読者として

それでも楽しみだった最終巻がこんな、

こんな支離滅裂に過ぎていくなんて、

ハッピーエンドなそれと裏腹な私の気持ち。

 

また読み返したら違う解釈ができるはず、

私のJK心が蘇ったら楽しめるはず、キュンキュンできるはず……。

 

ぐにゃりと人型にくぼんだ、人をダメにするソファはもの悲しく。

不可解な最終巻を本棚へ納めに自分の部屋に向かいました。

 

 

 

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ナニコレ。

 

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「11」がなーーーーーーーーーーい!!!!!

 

そりゃ、支離滅裂だ。

支離滅裂は私の方。

咲坂伊緒先生ごめんなさい。

しゃざいもうしあげます……(ユルシテ)

 

 

 

 

こんなことがあったとさ。

ちゃんちゃん。

無性に文章書きたくなって、いざ書くとこんなくだらん話よ〜〜

 

あーでも書くのって、楽しいね。

 

ゴブサタ

 

 

おひさしぶりです。

 

 

生きています。

 

 

「元気?」に「元気〜」と返せるほど元気です。

 

 

取り巻く環境はそれなりに変わりましたが、私は変わらず私です。

 

しかし、なんとも。

前のように、好きな時に好きに書くことに億劫になってしまっていて。

一瞬の心の揺れを大事にしたくて、ことばを紡いでいたのにね。

次第にその揺れが大きく、多くなるにつれ、大事にできなくなっていきました。

ああ、この揺れはダメなことなんだ、無くさなければならないんだ、無視しなければならないんだ。

結果、何も書けずにいました。

文章を書く意地は無くならず。

書きたい自分、書けない自分、書かない自分。

ぐるぐるぐるぐると。

 

 

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なりたい自分となれない自分

どうせどうせが安心をくれたような

偶然を叫びたくて

でも淡々と傘をさして

情けないほどの雨降らしながら

帰るよじゃあね

 


ずっと真夜中でいいのに。の、「脳裏上のクラッカー」ヘビロテでした。

底に落ちたような気がしたとき、自分のことのような歌に偶然出会うのって、なんなんでしょう??

「この現象に名前をつけたい」ってやつですね。

誰かつけてやってください。

 


こんな、悲観的自意識過剰症候群の螺旋から救い出してくれたのは、

やはり、奇しくも「本」でした。

 

書いていない時期にも、本はちょくちょく調達していたわけでありまして。

得意技積ん読の濫用の著しいことよ。

そんなある日、中島敦『文字禍』の博士になっちゃう夢を見たんですよ、これホント。

 


いつになったら読むねん!!!

いつになったら書いてくれるねん!!!(by本ズ)

 


と言わんばかりですよ。

あたり一面の本・本・本がずりずりと迫ってきて、

迫ってきて迫ってきて、どーーーーーんと!

積ん読の生き埋めになる夢を見た、これホントにホント。

 

 

 


そろそろぼちぼち読まないとなー

 

と。

 

本たちのプレッシャーに駆られ、我が家の本タワーに手を伸ばしました。

 

 

読み始めるとやっぱり、面白い。

止まらない。

楽しい。

幸せ。

 


こんなに楽しいことを放棄していたなんて。

ばかやろう、自分。

 

 

そしてまた、ここに帰ってきたのです。

 

 


今は読書感想文はできません。

 

 

なぜなら、選べない。

 

 

空白の間に、いい本に出会いすぎたのです。

いい本たちのタイトルだけでも紹介させてください。します。

 


瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』

三浦しおん『愛なき世界』

 

こちら2冊は、本屋大賞候補作。大賞は言わずもがな。

 


朝井リョウ『死にがいを求めて生きているの』

伊坂幸太郎『シーソーモンスター』

天野純希『もののふの国』

薬丸岳『蒼色の大地』

 

こちら4冊は「小説BOC」による文芸競作企画「螺旋プロジェクト」の参加作品。

こっれが最高に最強におもしろいので、今度語ります。

 


そして今日、我が家に仲間入りすることになったのがこちら。

 

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長田弘深呼吸の必要

遠藤周作『十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。』

どちらもタイトル買いなので読むのが一層楽しみ。

特に『十頁だけ〜〜』ね。

 


やっぱり本が好き。

そして、やっぱり書きたい。

好きなことは死んでも離すな。

いい本やことばに出会ったとき、

 


あー、書きたい。

 


と思えてならない揺れは、もう無視できないなあ。

どうやら、書くことへの意地はまだ消えていないので、

私、

やすやすと死んでなんかいられないみたいです。

 

 

ツレヅレなるままに⑫ 年女猪突猛進

 

電車のなかイズ話題の宝庫です。

 

窓の外の流れる景色に想いを馳せるもよし、乗客のひとりに焦点を当てるもよし、十人十色な車内アナウンスに耳を傾けるもよし。

 

最近わたしが夢中になっているのは、もっぱら

 

 

「絶妙なことばの組み合わせ」探し

 

 

です。

また(少々)変態的な慣習を身につけてしまった。

 

しばしお付き合いを。

 

まず「絶妙なことばの組み合わせ」とはなんぞや、ですよ。

絶妙やなあ〜

と唸る、ことばの組み合わせを、乗客の会話や広告、外の景色をヒントに探すのです。

探す、

といいますか、作るといいますか。

とにかくほわんと浮かんだ絶妙ワードを、すかさず携帯のメモ帳に記録。

するだけ。

シンプル。

ザッツオール。

ね。

 

あらゆる理解を置いてけぼりにしている気がしてなりませんが、突っ走りまっせ。

 

最近の絶妙ワードをご紹介いたしましょう。

 

 

ナイロン袋とコインロッカー生活

三日前の吐瀉物が雨にふやけている

ガソリンのシミが子猫に見える

紺のランドセルに背負われている少年

車内は英会話を催促されすぎる

今日はスーツなんですね年齢不詳さん

 

 

こんな感じ。

わっけわからんよね、うん。

 

声に出したい日本語があるように、これは文字にして深読みしたい日本語というか。

普遍的な具体を表しながら、無限の幅の想像ができる、そんなことばの組み合わせにときめく、日々の車内です。

 

 

 

本を選ぶにも、

このことばへの執着は重要な購買トリガー。

 

昨日仲間入りした本たち。

 

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タイトルがほら。

もう説明不要よね。

 

金欠できゅうきゅうに財布の紐絞めていたのに、本には衝動をおさえられないのは、何故でしょう。

幸福な悩み。

 

 

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朝井リョウさんのはサイン本。

見とれちゃうほどの美文字〜〜。

ハンコもしっぶ〜〜。

ほしい〜〜。

 

往復書簡してみたいね。

ひとつのテーマについての見解を文章で述べ合う。

素敵。

食い違ってたっていい、重なり合ったっていい。

往復書簡する、文友(ブンユウ?ブントモ?)募集中。

結構ガチよ。

 

 

『死にがいを求めて生きているの』読み進めているけど、はよ感想文書きたい!

また、衝動書きになると思うので見せられるものではないんだろうけれど。

 

 

物語を書くため、ぐるぐる構想中。

想像力、創造力ではどうにもならない知識の面で、

私のいる世界は狭いな、と痛いほど感じている。

もっといろんなものを読んで、いろんなものを書いて世界を切り拓こう。(キマった)

 

 

ツレヅレなるままに⑪ よんきゅっぱはごせんえん


算数が苦手です。

 

数学とかじゃなく、算数が。


小学校のころに習う算数は、生きていくうえで欠かせない数字という概念を理解するにあたってとても重要な段階でしょう。


足し算、引き算、掛け算、割り算。
時計の見方、お金の数え方。


その「さんすう」にどれほど苦しめられたか。

 

 

 

それは、小学校1年生の誕生日。


誕生日には毎年家族みんなで、「カーニバルプラザ」というバイキングのお店に行っていた。

 

ほくほくのクルトンたっぷりじゃがいものポタージュ
ヤングコーンとレタスとパプリカのシーザーサラダ
ほんのり甘くきりりと塩のきいたクラッカー
テーブルいっぱいに盛られた蟹、カニ、かに

 

いつもの食卓には乗らない色鮮やかな料理に目をくらませていると。
突如、店内の電気が消えた。真っ暗である。
なんやなんや、と暗がりを見わたしていると、ある一点にスポットライトが当たる。


なんとそこには、ライトに照らされピカピカと艶めくの金管楽器を掲げた、ブラスバンドがいるではないか!

 

ええ!
さっきはいなかったのに!!
すごーい!!!

 

と、感動していると。
列の真ん中のきれいなお姉さんが、こう言ったのだ。


「皆さんご注目! 今日、5歳の誕生日を迎えるワンダフルなガールが、ここ、カーニバルプラザにやってきています!! ヒュー!!!」

 

 

へえー!
私と一緒の誕生日だ!!
ワンダフル!!!

 

と、興奮していると。
急にパアッと。
なんと、この私がスポットライトに照らされているではないか!

 


私と同じ誕生日のワンダフルなガールの正体。
それは私自身だったのだ!

 

 

ちゃんちゃん。

 

こんな、あほエピソードはここまでにして。


楽園のようなカーニバルプラザに、行きたくて、行きたくて行きたくてならなかったのだ。
小学生になって初めての誕生日に、うきうきわくわくしていた。

 

今日は何を食べよう、甘じょっぱいクラッカー今年もあるかな。

(食事中のお菓子類に目がない、居酒屋のえびせんとか)

 

あいにくの平日だが、文句は言わない。
だって、私は今日、ひとつ大人になるんやもん。

 

 

今でも、鮮明に思い出せます。
その日の宿題。

 

 


さんすうの宿題。


B4用紙にぎっっっっっっっっっっしりと。


2ケタと2ケタの引き算問題。

 

 

 

泣きました。
足し算はかろうじて出来ていました。
引き算はてんでダメ。

母は勉強にとても厳しかった。
そんな母の鬼のひとこと。

 

 

宿題終わらせへんかったら、カーニバルプラザ行かへんで??

 

 

泣きました。
泣きながら、延々と続く2ケタの引き算を解き続けました。
どれぐらいの間そうしていたかは定かではありませんが、この時間は一生続くのだ、と絶望し、悟りそうになっていたことはよーく覚えています。

 

まあ、永遠に終わらない宿題はない。

これ迷(名)言。


結局、何時間か予約をずらして、カーニバルプラザに行くことはできました。

6歳になって初めての蟹の味は、なんとも言えないものでした。

 

 

そんなこんなで、算数苦手意識はぐんぐん育ち、今も算数が苦手です。

高校3年生ぐらいまで、消費税を考慮して買い物をすることができませんでした。(ばかすぎる)
例えば、4,980円のものを買うとして。
5,000円として計算するのが普通だと思います。
それでも私は、4,000円として認識し計算してしまうのです。
予算オーバーは常。

 

何でしょうね、数字の感覚がない、というか。
歴史の教科書で、ふいに「1865年」とか年代が現れると、びっくりしてしまいます。
「せんはっぴゃくろくじゅうごねん」と読めない。
数字を文字として認識していないのかな。

 

九九は好きでした。
ただ、仕組みを理解していたのでなく、音やリズムで覚えていたような。
私にとって、歌と同じ部類だったのかもしれません。


心配になるほど、何かが欠如したまま大人になってしまった。


でも、何とか難なく、んー若干の難はあれど。
今、生きていられているし、なんかもういいかなって!

買い物で予算オーバーしなくなっただけ、成長感じ、大変満足している次第であります。

 

 

村田沙耶香さんの『となりの脳世界』を読んで、唐突に書きたくなったお話でした。


ちゃんちゃん。

読書感想文⑱ 村田沙耶香『となりの脳世界』


なんてことないやん、と思うこと。

 

例えば、1冊のエッセイ集。
すらすらと読んでしまった後、こう思います。

 

え? なんてことないやん。
こんなん、私だって思ってた。

 

そういう、なんてことないエッセイ集は、ためらいもなく「ハズレ」に分類しちゃいます。

 


でもふと、思ったのです。


一体私は、エッセイに何を求めているのか。
何を基準に「アタリ」「ハズレ」分類しているのか。

エッセイとは何なのか。

 

 

思うと、エッセイを読むとき、私は何かに対してSOSを発信していたのだと思います。
生きる上での秘訣がほしかったり、

生きづらいことさえも許してくれたり、

そんなことを求めて頁を開きます。

 

 

でも、よくよく考えてみると、エッセイとはそもそもそんなハウツー的な、処世的なものではありませんね。

 


エッセイとはなんぞや。

 

 

文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文。

 

それがエッセイ。
見誤っていました。


なんてことないやん、と思うことを文字に残すことがエッセイ。

 

なんてことないやん、を文字にするのは「なんてことない」ことじゃない。
なんてことないやん、を文字にできるのは「なんてことない」ことじゃないことを文字にできる人。
なんてことないやん、を「なんてことない」ことじゃないと思うのは「なんてことない」ことなんかじゃない。

 

自分にはなかった視点や、考え。
それに触れるのがエッセイを読むということ。
読んで、なんてことないと思うのなら、それは自分の思考が「なんてことない」だけ。

 

 

そんなふうに思います、今。


「ハズレ」の書架に眠るエッセイ集たちに、一度深く土下座をし、もう一度読むことにしよう。

 

 

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村田沙耶香『となりの脳世界』

 

コンビニ人間』で第55回芥川賞作家となった村田沙耶香さんの、エッセイ集。

 

コンビニ人間もそうですが、タイトルが本当に秀逸だと思います。
私の中の日本語のツボをぐいぐい押さえてくるのです。

三島由紀夫賞を受賞した『しろいろの街の、その骨の体温の』なんてもう。


の~?!
からの~?!

 


と、高まってしまいます。

 

『となりの脳世界』のタイトルの由来については、序文でこう明かされています。

 

 

ーー自分ではない誰かの脳を借りて、そこから見える世界を、のぞいてみたいなあと、いつも思っています。
たとえば、電車に乗ってぼんやりと座っているとき。ふと、隣の人はどんな光景を見ているのだろう、と思います。
向かいに座っている男の人が広げている新聞を読んでいるのかもしれない。窓の外の雲を見て空想しているかもしれない。車掌さんの動きを観察してわくわくしているのかもしれない。
隣の人はどんな世界に住んでいるのだろう。同じ車両の中にいるのに、きっと違う光景をみているのだろうなあ、といつも想像してしまいます。
……
私の脳の中はこんな世界です。そんな気持ちを込めてタイトルを付けました。
脳を取り替えっこするような感じで、自分の住んでいる世界と比べたり、あの人は同じ光景をどんなふうに見るだろうと想像したりしながら読んでいただけたらいいなあ、という思いを込めたつもりです。

 

 

エッセイに「アタリ」「ハズレ」もないと言った後に、こんなことを言うのは非常にナンセンスかもしれないけれど。


これぞ、エッセイ。


と思ってしまいました。

 

1冊まるまる、村田さんの子供のころから現在に至るまでのあらゆる出来事。
読み進めていくうちに、脳そのものを覗いているような、さらに自分の脳の埋もれていた感覚をつつかれるような、そんな新鮮な錯覚に陥ります。

 

特に、「算数苦手人間」がすき。(めちゃめちゃに共感した)

 

そうそう。
エッセイ1つ1つのタイトルも、とてもツボ押し名人です。
目次を眺めるだけで、ウズウズしちゃいます。

 

ぜひ、読んでみてください。
エッセイを読んだことのないひとも、ぜひ。
いつのまにか、他人の日記を盗み見しているかのような、背徳感にひそかな快さを感じるような。
村田さんツボにはまって抜けられないことでしょう。

 

https://m.facebook.com/seiwado.book.store/

写真は、こちらの正和堂書店さんFacebookページから拝借いたしました。

紹介される本がいちいち良いので、こちらもぜひ覗いてみてくださいな。

 

今日はながかったね〜〜