ツレヅレなるままに⑩ 人生ゲーム
水面下で、あらゆることに挑戦しています。
主として、いろんな公募に作品を応募したり。
○○がてら、で受賞出来るわけないし、出来るなんて一寸ぽっちも考えておりません。
それでも。
大学のころの文章の課題のように、子供のころのことば遊びのように。
やっぱり、常にことばをいじくっていたいですね。
こういう、したいこととしなくてはならないことの天秤は昔からきらいです。(きっぱり)
ふたつを天秤にかけた初めの人には、ガンを飛ばさなくてはいけませんね。
一日が36時間ぐらいあって、24時間しなくてはならないことをするとして、12時間ぐらいは自分のしたいことをしたいな、なんて。
だれかそんな規則を作ってくれんかね、なんて。
日々思っています。
したいことと、しないといけないことが同じ、とは奇跡なんじゃあないかなと思います。
決して大げさではないはず。
そんな奇跡は待っていたって降ってはこない、残酷なことに。
でも、その残酷を打破できるのは自分自身しかいないしなあ。
しないといけないことをしながら、したいことと結ぶ努力は誰でもできるのでは?
という考えのもと、ここ最近はその努力にあっぷあっぷです。
どうせ、あれこれとカネ賭けて生きているのだから、有意義でないと。日々が糧でないと。
そう思うと、もったいないオバケがワアッとおどかしてくる気がしてならないので、日々を努々生きてみています。
1年前より、めまいや耳鳴りの回数が多くなっている私、ゆるやかな老化を辿っているなあと思うと、なおさら。
いつ生きることが終わるかなんて、わからないもんね。
がてら応募した作品、受賞できなかった暁には、このブログに連載として更新するかもしれません。
4000字以上あるので連載形式で。
記事数稼ぎじゃあないよ?
ちなみにいつものブログの文字数は大体、800字~1200字程度。
そうなったときは、
あ~これか、身の程知らず公募に挑んだってやつね~
と見守ってやりましょう。
がちがちの保険、掛けさせてくださいな。
読書感想文⑰ 森絵都『風に舞いあがるビニールシート』
心が震えるツボというものは、人それぞれだなあ、と。
ブログを振り返ってみました。
読書感想文は、主に、以前読んだものから選択。
そのほうが作品に対する理解が深いような気がするし、
前に読んだものでも熱く語りたいのは、その分、愛が強いのかなと。
そんなふうに、あっつあつゾッコン愛をだらだら打っていくこのブログですが、例外もあります。
まれに、本当にまれに、読了後興奮冷めやらぬまま。
そんなときはもう、深い理解、なんて胡散臭いこと言ってられません。
やべえ、良い、やば、めっちゃ良い、やっべえ書きたい、書かねば!
語彙はとうに去り、閑散とした脳をフル稼働させ、フリック入力に勤しむ。
どの本があてはまるのかは、ブログを読み返していただければ、なんとなくわかるはず。
係り受けの違和感、助詞の欠如、誤用、などなど。
粗だらけです。
このことば、使い方間違ってるくない?
と、いうことがあっても、
あーね、「興奮冷めやらぬまま」のやつだ。
と、あったかく見守ってやってくださいな。
今も、書きたい衝動に駆られながら、とある短編集を読んでいます。(2019/3/12現在)
ふう。
読了。
さてと。
第135回直木賞受賞作です。
表題「風に舞いあがるビニールシート」他5作の短編が収録されています。
タイトルがツボすぎて、即購入。
実際に、風に舞いあがるビニールシートを見かけたとしたら、皆さんはどんな行動をとりますか?
ビニールシートが風に舞う。
獰猛な一陣に翻り、揉まれ、煽られ、もみくしゃになって宙を舞う。
天を塞ぐ暗雲のように無数にひしめきあっている。
雲行きは絶望的に怪しく、風は暴力的に激しい。
吹けば飛ぶようなビニールシートはどこまでも飛んでいく。
とりかえしのつかない彼方へと追いやられる前に、虚空にその身を引き裂かれないうちに、誰かが引き留めなければならない――。
このような冒頭。
私なら、みなさんなら?
見て見ぬふりをする、
ぼんやりと眺める、
なんとなく追いかけてみる、
それとも?
風に舞うビニールシートを必死に追い、必死にその手で引き留めようとするのが、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)勤務のアメリカ人、エド。
冒頭のことばはのエドの口癖です。
「誰か」に「自分」を当てはめずにはいられない、正義感の持ち主。
外資系投資銀行で働いていた里佳は、果てのない激務と上司の「日本的」な態度にとうとう嫌気がさし、UNHCRへ転職することに。
そんなこんなで、ふたりは結婚することになります。(秘技・テキトー)
ふたりの織りなす「夫婦」というカタチ。
考えさせられるものがあります。
蔓延する難民問題に身を投じ、1年のほとんどをフィールド(現地)で過ごす夫・エドへの、妻として、複雑な思いを抱える里佳。
離れないでほしい、
頑張ってほしい、
危ないところに行かないでほしい、
そばにいてほしい。
荒れた虚空に弄ばれるビニールシート、懸命に手を伸ばすエドが、いつかビニールシートもろとも遠くへ飛ばされてしまうような気がしてならない里佳。
思うのは、待つのは、いつだって退屈で、いつだって残酷だ。
「私」と仕事を天秤にかけるような人ではない、そんなエドが好きだったのに、裏腹に募っていく思い。
ふたりの在り方の「正解」とは何なのか。
夫婦の在り方の「正解」はどこに宿るのか。
『風に舞いあがるビニールシート』収録の他作品も、面白い。
うむうむ、うなってしまいます。
さすが森絵都先生、各作品どことなく雰囲気が違うように感じられますが、「はたらく人たち」「人間関係」「それぞれの価値観」への焦点が一貫されていて。
自分の価値観を守り、お金よりも大切な何かのために懸命に生きる人々を描いた『風に舞いあがるビニールシート』。
ぜひ!
心の震えるツボは人それぞれ。
それでも、それぞれ形の異なるツボに無理強いしてでも、入れ込みたいと思える、そんな作品でした。
素敵な本との出会いに、アリガトウ。
ツレヅレなるままに⑨ 迷宮入り
なーがれーるきーせつーのまーんなーかにー
ふーとひーのなーがさーをーかんーじますー
そんな日ですね。
レミオロメン「3月9日」が離れない1日も、もう宵の刻です。
今日は、結構、かなり、ずっと、忙しくて。
こうしてものを書いていると、ピアノ線のように張り詰めた神経がほぐれていくような気がする。
最近、ふとしたときに考えるのは決まって、私はどうして書くのだろう、ということ。
何のために、誰がために書くのか。
自分のため?
自分を示すため?
私はこんなことを思っています、私はこんなことに悩んでいます、私はこんなことを望んでいます。
私は、私は、私は。
私、を特別だと思いたい。思い込みたい。
そんな特別な私を、知ってほしい。
特別でありたいから共感はいらない。
こんな考えでした。
それでも、ある時。
私は、特別な考えを持った人でもないし、こんな悩みを持っている人なんて両手じゃ足りないほどいるだろうし、こんな望みを持つのは特別なことではない。
と、気づいた。
書く仕事をしたい人なんて、何千万人もいる。
努力をしている人だって、何百万人もいる。
その中のいてもいなくてもどうでもいいほどの、ただの「誤差」な存在である、私。
書くことで生きていきたいなら、何のために書くのか。
このことについて、深く鋭く考えていかなければならないな、と。
瞳を閉じればあなたが瞼の裏にいることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたになって私もそうでありたい
「3月9日」を引用するのなら、私はそんな文を書いていきたい。
瞳を閉じると瞼の裏にいるような、そんな寄り添える文章を。
これはあくまで、今の所。
書きたいと思い続ける限り。
これからも、この迷宮に生きるだろう。
「私」を抜け出し、タガタメに文章を書くのか。
この迷宮は、正直息苦しくもあるが、楽しいと思っているのも、確か。
ツレヅレなるままに⑧ あゝ、ムジョウ。
欅坂46が好きだという話を、覚えていますか。
好きなんですよ。
何というか、いつまでも捨てることのできない、厨二心をストライクでくすぐってくるんです。
鮮烈なデビュー曲「サイレントマジョリティー」から、最新曲「黒い羊」まで、反骨精神バリバリ一直線で猛進していると思われている方。
ちっちっちっ。
今のイメージとは程遠い(愛ゆえ)爽やかさ100%の隠れた名曲があるんです。
2ndシングル表題曲「世界には愛しかない」。
ポエトリーリーディング、という語りが全編に渡ってちりばめられています。
そのことばたちが、もうなんとも。
「歩道橋を駆け上がると、夏の青い空がすぐそこにあった。
絶対届かないってわかっているはずなのに、僕はつま先で立って
思いっきり手を伸ばした。」
「真っ白な入道雲がもくもくと近づいて、
どこかで蝉たちが一斉に鳴いた。
太陽が一瞬怯んだ気がした。」
「空はまだ明るいのに、突然、雨が降ってきた。
僕はずぶ濡れになりながら、街を走った。」
「夕立も予測できない未来も嫌いじゃない。」
「全力で走ったせいで、息がまだ弾んでた。
自分の気持ちに正直になるって清々しい。
僕は信じてる。世界には愛しかないんだ。」
こんなにキラキラしたことば、あります?(反語)
こんな青春を送ってみたかったと思えてなりません。
ポエトリーリーディング以外の歌詞も、キラッキラしています。
特にサビ。
世界には愛しかない
信じるのはそれだけだ
今すぐ僕は君を探しに行こう
だれに反対されても
心の向きは変えられない
それが僕のアイデンティティ
愛こそ、アイデンティティ。なんて。
そんな自己規定なんて理想論だ。なんて。
ちょっとやさぐれてしまうほど、まっすぐな心の向き。
だれに反対されても
心の向きは変えられない
反骨精神にじむこの部分が大好きです。
爽やか~なメロディー、踊り、表情に、この芯の強さ。
2ndシングルということで、方向性は手探りだったはず。
それでも。
一貫された、あくまでも前向きな反抗心。
センター平手の眼差しは、いつでもはるか前を見据えているよう。
平手友梨奈は、深読みされる人だと思います。
目を伏せても、手を伸ばしても、何かと深読みされる。
本人はいたって何の気ないというのに。
妄想が過ぎますかね。
でも、この時点で私も深読みをしているわけだし。
欅坂46は「平手坂」と揶揄され、
出演する音楽番組やコンサートでは、「平手ガチャ」と揶揄される。
平手の調子が良ければ、最高傑作。
平手の調子が悪ければ、見るに堪えない。
正直、否定はできません。
だって実際に、カメラに抜かれるのはいつでも平手。
それはもう、しょうがないと思うのです。
欅=センターの子・平手友梨奈、という世間の方程式は簡単には崩れない。
欅のメンバーも覆そうとしていないのではないか?と最近は強く思います。
平手を軸に、欅坂46として、良いものを創る。
この考えがメンバーの思いの根にあるような気がします。
それを強烈に感じたのが、最新曲「黒い羊」のMVです。
ここまで書いて、衝撃の一報が。
長濱ねる、卒業。
「黒い羊」のMVには、人気メンバーにもかかわらず、たったのワンシーンしか登場していなくて心配していたのですが……
まさか。
しかも本日語った「世界には愛しかない」は、長濱ねるちゃんの初選抜曲。
現実は小説より奇なり。
アイドルというものは、常ならずですね。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす
欅坂46アニバーサリーライブ、落選。
泣ける。
あゝ、無情。
読書感想文⑯ 原田マハ『キネマの神様』
原田マハ『キネマの神様』。
散々余韻に浸りました。
はあ。
まだ、浸り足りないみたいです。
よし。
書きます。
暗闇の中にエンドロールが流れている。
ごく静かな、吐息のようなピアノの調べ。真っ黒な画面に、遠くで瞬く星さながらに白い文字が現れては消えていく。
観るたび思う。映画は旅なのだと。
という冒頭。
私自身、映画にはまったく所縁がありません。
これを観てこそ育つ!
という二大巨塔のジブリ、ディズニー。
どちらも観ずに育ちました。
トトロを初めて観たのは、高校生のころ。
ディズニープリンセスの類を初めて観たのも、高校生。
ライオンキングを初めて観たのは、大学生。
風の谷のナウシカを初めて観たのは、2019年に入って初めての金曜ロードショーで。
何を観て育ったのか、私はもっぱら、おジャ魔女どれみでしたね。
あぶねえ、話、脱線しそう。
『キネマの神様』はタイトルの通り、映画が物語の軸となっています。
読了後のボケ丸出しの感想は、
私も、映画好きならよかった~~
アホすぎて申し訳ない。
見事な追体験の結果です。
それほど、『キネマの神様』に引き込まれたということです。
この物語の登場人物は皆、映画に魅了され、映画にすべてを捧げる、正真正銘の「映画好き」。
好きなものに、正真正銘あるいはミーハー、というボーダーを引くのは実にナンセンスだと思うのですが、このひとたちこそ「正真正銘」と、取り立ててしまうほどです。
映画をこよなく愛する39歳独身女性、歩は都市型のシネマを建設する企画の舵をつかさどる、いわゆるキャリアウーマン。
ひょんなことから、突然会社を辞めることになった歩。
父(同じく映画をこよなく愛する、愛称ゴウちゃん)が倒れ、多額の借金が発覚。
ギャンブル依存症の父を、どう更生させるべきか。
多額の借金を、絶賛無職の歩がどう工面するべきか。
無職の歩は、倒れた父の職であるマンションの管理人を仮に継ぐことになる。
ちゃぶ台1つと、インチの小さいテレビ1つ。多くのDVD。
狭い管理室で、歩はある1冊のノートを見つける。
それは、父の書いた、管理がてら観ていたのだろう、映画の感想だった。
偶然か必然か?
はたまた。
キネマの神様、とやらがもたらしたご加護か?
たかだか映画で、父は更生するのか。家族は救われるのか。奇跡は起こるのか。
魅力の一つが、
一人称「小生」のクセが強い、ゴウちゃんの書く文章。
これが、もう。
こういうの、書きたかった! くそう!
と思ってしまいました。
さらにもう一つ挙げるなら。
原田マハさん、どれだけ働く人を魅力的に描けば気がすむのですか。
喜び、妬み、期待、嫉み、悲しみ、確信、怒り、信念。
働く人の「喜怒哀楽」が、ぎゅっと詰まっています。
働く歳になってこの本に出会えたことが、心底うれしい。
すべての映画好きと本好き、書く人、働く人に、原田マハ『キネマの神様』を捧げます。
まだ浸りきれていないので、しばらくとっぷりさせてもらいます。
じわじわ加筆修正加えながら。
『キネマの神様』読書感想文、未完。
読書感想文⑮ 灰谷健次郎『ろくべえまってろよ』
もぬけの殻、の「もぬけ」ってなんでしょうね?
マヌケ、と響きが似ていてちょっとかわいいと思ってしまいます。
「マヌケ」と聞くと。
必ず思い出すことばがあります。
きょゆーん わんわん
きょゆーん わんわん
ろくべえが、あなに おちているのを、
さいしょに みつけたのは、かんちゃんです。
「まぬけ。」
と、かんちゃんが いいました。
いぬのくせに、あなに おちるなんて、
じっさい、まぬけです。
小学2年生のころに習った「ろくべえまってろよ」。
いやになるぐらい音読させられたので、いまでもそらで読めちゃう。
深くて真っ暗な穴に落ちてしまった犬のろくべえを助け出そうと、子どもたちが大奮闘するお話。
ずぶずぶとノスタルジーに浸ってしまい、絵本『ろくべえまってろよ』を読み返しました。
なんとびっくり、作者が灰谷健次郎。
『兎の目』や『太陽の子』などの著作で有名な、あの。
灰谷作品、小2で触れていたとは。
小学校以来に読んだ『ろくべえまってろよ』の感想は、
大人の描写がイジワル、でした。
かんちゃんら、子どもたちの、ろくべえを助けたい、助けてくれという純粋なこころを踏みにじるようなことばを放つ大人たち。
これは無理だ無理だ、という大人。
女じゃなくて男がするべきよ、という大人。
深い穴はあぶないガスが漏れていたりするから、犬で良かったわねえ、という大人。
実際、こんな大人ばかりではないと思うのですが、(そう、思いたい)
こんな大人になってはいないか、と問いただされるような。
1978年に出版されたと知り、さらにびっくりです。
それから40年後の今、灰谷健次郎が描いた、いやな大人は健在。
何とも言えない心情になります。
果たして私は、憧れの大人に、なりたかった大人に、かっこいい大人になれているのだろうか。
『ろくべえまってろよ』、思い出してよかった。
2月の下旬から、あることに挑戦していて更新が滞りましたが。
昨日やっと落ち着いて、それこそ、もぬけの殻です。
いーや、殻になんてなってないで、ばりばり書く練習、していくぞう。
ツレヅレなるままに⑦ 明かりをつけましょボンボリに
どっひゃあ、ですね。
2月は彗星のごとく、過ぎ去りましたね。
2月はっや、というか
2月あった?
が、ふさわしいような気がします。
そんなこんなで、このブログも始めて1カ月が経ちましたよ!
お祝いしないとですよ!
ね!
って厚かましいこと言っておきます。
読書感想文、と称したただの本紹介から始まり、
土日は漫画、とさぼり始め、
ツレヅレなるままに、と本格的にだらけ始めました。
このブログも「ツレヅレ」なんて奥ゆかしいですよね。
何言ってんだ。
そんなこんなで(2回目)、方針ブレブレなこのブログですが、これからもよろしくお願いしたいです。
書く練習、から、書く仕事、までの道のりはまだまだですな。
好きなことは死んでも離すな。
刺さるぅ〜〜