やたらに、ゆとり。

しれっと徒然なるままに書く人。

読書感想文⑱ 村田沙耶香『となりの脳世界』


なんてことないやん、と思うこと。

 

例えば、1冊のエッセイ集。
すらすらと読んでしまった後、こう思います。

 

え? なんてことないやん。
こんなん、私だって思ってた。

 

そういう、なんてことないエッセイ集は、ためらいもなく「ハズレ」に分類しちゃいます。

 


でもふと、思ったのです。


一体私は、エッセイに何を求めているのか。
何を基準に「アタリ」「ハズレ」分類しているのか。

エッセイとは何なのか。

 

 

思うと、エッセイを読むとき、私は何かに対してSOSを発信していたのだと思います。
生きる上での秘訣がほしかったり、

生きづらいことさえも許してくれたり、

そんなことを求めて頁を開きます。

 

 

でも、よくよく考えてみると、エッセイとはそもそもそんなハウツー的な、処世的なものではありませんね。

 


エッセイとはなんぞや。

 

 

文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文。

 

それがエッセイ。
見誤っていました。


なんてことないやん、と思うことを文字に残すことがエッセイ。

 

なんてことないやん、を文字にするのは「なんてことない」ことじゃない。
なんてことないやん、を文字にできるのは「なんてことない」ことじゃないことを文字にできる人。
なんてことないやん、を「なんてことない」ことじゃないと思うのは「なんてことない」ことなんかじゃない。

 

自分にはなかった視点や、考え。
それに触れるのがエッセイを読むということ。
読んで、なんてことないと思うのなら、それは自分の思考が「なんてことない」だけ。

 

 

そんなふうに思います、今。


「ハズレ」の書架に眠るエッセイ集たちに、一度深く土下座をし、もう一度読むことにしよう。

 

 

f:id:ytr_uoi:20190316172145j:image

村田沙耶香『となりの脳世界』

 

コンビニ人間』で第55回芥川賞作家となった村田沙耶香さんの、エッセイ集。

 

コンビニ人間もそうですが、タイトルが本当に秀逸だと思います。
私の中の日本語のツボをぐいぐい押さえてくるのです。

三島由紀夫賞を受賞した『しろいろの街の、その骨の体温の』なんてもう。


の~?!
からの~?!

 


と、高まってしまいます。

 

『となりの脳世界』のタイトルの由来については、序文でこう明かされています。

 

 

ーー自分ではない誰かの脳を借りて、そこから見える世界を、のぞいてみたいなあと、いつも思っています。
たとえば、電車に乗ってぼんやりと座っているとき。ふと、隣の人はどんな光景を見ているのだろう、と思います。
向かいに座っている男の人が広げている新聞を読んでいるのかもしれない。窓の外の雲を見て空想しているかもしれない。車掌さんの動きを観察してわくわくしているのかもしれない。
隣の人はどんな世界に住んでいるのだろう。同じ車両の中にいるのに、きっと違う光景をみているのだろうなあ、といつも想像してしまいます。
……
私の脳の中はこんな世界です。そんな気持ちを込めてタイトルを付けました。
脳を取り替えっこするような感じで、自分の住んでいる世界と比べたり、あの人は同じ光景をどんなふうに見るだろうと想像したりしながら読んでいただけたらいいなあ、という思いを込めたつもりです。

 

 

エッセイに「アタリ」「ハズレ」もないと言った後に、こんなことを言うのは非常にナンセンスかもしれないけれど。


これぞ、エッセイ。


と思ってしまいました。

 

1冊まるまる、村田さんの子供のころから現在に至るまでのあらゆる出来事。
読み進めていくうちに、脳そのものを覗いているような、さらに自分の脳の埋もれていた感覚をつつかれるような、そんな新鮮な錯覚に陥ります。

 

特に、「算数苦手人間」がすき。(めちゃめちゃに共感した)

 

そうそう。
エッセイ1つ1つのタイトルも、とてもツボ押し名人です。
目次を眺めるだけで、ウズウズしちゃいます。

 

ぜひ、読んでみてください。
エッセイを読んだことのないひとも、ぜひ。
いつのまにか、他人の日記を盗み見しているかのような、背徳感にひそかな快さを感じるような。
村田さんツボにはまって抜けられないことでしょう。

 

https://m.facebook.com/seiwado.book.store/

写真は、こちらの正和堂書店さんFacebookページから拝借いたしました。

紹介される本がいちいち良いので、こちらもぜひ覗いてみてくださいな。

 

今日はながかったね〜〜