やたらに、ゆとり。

しれっと徒然なるままに書く人。

読書感想文③ 穂村弘『絶叫委員会』

 

絶妙にどう反応すればいいかわからない話題のひとつを挙げます。

つまり、超絶どうでもいい話題です。

 

 

私、変なところで几帳面出ちゃうんだよね~~!(なぜか誇らしげ)

 

 

です。

 

ではではいまから、変なところで几帳面出ちゃうっていう話をするので、見たくないよ~ウザイよ~と思われた方は、シャーっといい感じの所までスクロールしちゃってください。

 

さて、
私、変なところで几帳面出ちゃいます。

消耗品の消費進度にこだわりがあるわけです。


シャンプー
リンス(いつからコンディショナーって呼ぶようになったんだろうね)
トリートメント
洗顔フォーム
ボディーソープ
化粧水
乳液


主にこやつたちの、消費進度に並々ならぬ神経を使っております。
並々ならぬ、といいながらめっちゃ共感してくれる方がいたらどうしよう。はずかしい。うれしい。

まあいい。
もはやあるあるかもしれない嘆きがあるのですが聞いていただけますでしょうか。言います。


シャンプーとリンスは何で同じタイミングで無くならないのか。


君たち、セットじゃあないのか?! ん?! なーんでいつも、先に無くなるのがリンス?! いつも先に無くなるから、いつも先に詰め替えるのに、いつも先に無くなるの、何故?! ホワイ?!


ふう。

透明な容器越しに残量を確認しながら、調整しながら、今日も1プッシュ多くしよう……ポンプ押す虚しさよ、徒らに泡があわあわする頭部の遣る瀬無さよ……

 

 

 

 

 

先に無くなられちゃあ困る案件は、化粧水・乳液コンビも然り。

まあでもここは、情状酌量の余地ありなんだよなあ。

だって、そもそもの容器の大きさが違うもんね。

そりゃあ、乳液が先に無くなるわい。

シャンプーリンスほどの気持ちは湧き上がりません。

 

 

シャンプーリンス、化粧水乳液は、2つのバランスなのもあって、調節は単純。

 

最近、悩ませてくるややこしいのが、4色ボールペン。ジェットストリームの。めちゃめちゃ書きやすいやつ。赤、黒、青、緑。

 

皆さんは、何色の消費が著しいですか?

 

私は圧倒的に青。

書類に書き込みするとき、ちょっとしたメモを取るとき、連絡事項を置き手紙するとき。

青、使っちゃう。

書類って基本黒で印刷されるじゃないですか、黒に黒で書き込みすると、後々確認したとき、気づかないんですよね。埋もれちゃって。(あほ)

 

圧倒的に使わないのが、緑。

あいつ、使い道ないもん。

 

黒、公的文書記入。

赤、重要事項強調。

青、オールマイティー天才。

緑、

 

……

 

緑、他のインクの8倍ぐらい背が高いまま残ってしまっています。

緑、いつ使えばよろしいのでしょうか。

ご意見お聞かせくださいな。

 

 

 

やっと冬本番の大阪。

メトロ堺筋線、銀の車両に揺られながら。

春ポテトをもしゃもしゃ頬張るサラリーマンの隣からお送りいたします。

 

 

 

f:id:ytr_uoi:20190130214705j:image

穂村弘『絶叫委員会』。

 

f:id:ytr_uoi:20190130192541j:image
f:id:ytr_uoi:20190130192557j:image

 

ドコモdポイント6,000円分で大奮発した際に、我が家のブックタワーに仲間入りとなった『絶叫委員会』。

 

f:id:ytr_uoi:20190130214807j:image

 

穂村弘先生は、日本の現代短歌を代表する方でであり、批評家、エッセイストとしても活躍されていらっしゃいます。

 

『絶叫委員会』は、なんて言うのかな。

エッセイ? なのかな??

 

日常生活で偶然生まれてしまった、詩的な表現に、眼差しを向けた一冊です。

テキトーに紹介するならば、「日本語フェチにはたまらん」一冊です。

 

では、『絶叫委員会』から、私が、たまらんっ! と日本語中枢が刺激されたものをいくつか。(以下引用)

 

 

 

 

 

「この花火はぐろぐろ回ります」

 

 

 

「謝りに行った私を責めるよにダシャンと閉まる団地の扉」

 

 

 

「日本人じゃないわ。だって、キッスしてたのよ」

 

 

ぐるぐる、ではなく、ぐろぐろ。

ガシャン、ではなく、ダシャン。

キス、ではなく、キッス。

 

 

 

彼「ウニって本当は宇宙人だったらこわいね」

彼女「わざわざ遠くから来てるのにお寿司にされてかわいそう」

 

 

 

ウニのやつが一番たまらんです。

 

『絶叫委員会』に触発され、実のところ、私は文字を打つ際、「たまらん」感に凝っています。

狙って、私一人だけでも「たまらん」となるのも、幸せなのだが、それと比べるまでもないほど超絶幸せなのが、狙わずして「おっ、なかなかたまらん」となってしまったヤツです。

 

以下自画自賛ですが、ある日のわたしのインスタグラム、ストーリーから。

 

f:id:ytr_uoi:20190130205335p:image

 

 

これはかなり、自分で「なかなかたまらん」でした。

無意識のうちに、響き良くことばを選んでいたら、五七五七七、三十一文字が出来上がっていた、いや、投稿後に気づいたあの時の、興奮たるや!!

 

あー、ありゃーたまらんかった。

短歌偉大。

 

読後、浮いては消える泡沫のようなことばたちに、敏感に、慎重に、なりました。

知らずあふれる「たまらん」を求めて、ね。

 

詩をうたう、短歌をうたうとなると、やはり身構えてしまうものですが。

ことばで泣き笑い、怒り悲しむ生き物である限り、誰もが詩人にも歌人にもなりうる、と。

たとえ、うたえなくても、そこかしこに、心を震わせることばがあるものだ、と。

確かにあるものを、気づかずにいるのは、気付けずにいるのは、あまりにも勿体無い、と思わされました。

 

『絶叫委員会』、是非読んでいただきたい。

読まれた方は、是非ご一報いただきたく思います。

偶然出会った「たまらん」ことばに、顔を見合わせ、にやりとほくそ笑み合いましょう。

にやり。

 

 

 

 

緑の使い道、

詩的だ! と震えた偶然表現を、手帳に書き留めたりしちゃったりしようかしら〜〜。