やたらに、ゆとり。

しれっと徒然なるままに書く人。

ツレヅレなるままに① 夢、語らせてください。

 

閑話休題」として、ただ、だらだらと綴っていく場を設けさせていただきました。

 

第1回目は、

夢、語っちゃいます。

 

私は昔から、人前が大の苦手です。

大勢vs私、も、そりゃあ苦手なのですが、そもそも人と喋るのが苦手です。

人見知りですし、電話越しの人間も苦手です。

(だんだん「苦手」が、「若手」に見えてくるゲシュタルト崩壊

 

あがり症なので、話す内容を決めていても、飛んでしまったり、幼い頃は意図せず泣いてしまったりすることもありました。

 

今は、それなりに、「人間、大丈夫」なフリは上手にできるようになったと思います。

大人になったものですよ。しみじみ。

 

人見知りも、喋れる方の人見知りに方向転換できた。

人前でもまあまあ喋れるようにもなった。(顔面がめっちゃ怖いらしいが)

1対1の初対面もどうにかこうにか乗り越えられるようになった。

美容師さんとも世間話できるようになった。

電話はまだまだ多少ビビるが(独特な間の譲り合いがムリ)、支障はない程度に丁寧に対応できるようになった。

 

それでもやっぱり、自分の気持ちを伝えるのには、こうして文字を介することが一番私に合っているなあ、と思います。

文字にすることによって、あ、私はこういうことを考えていたんだ、と自分の思考を可視化できるし、

形に残る文字の特性は、後々、この頃の自分の考えと今の自分の考えを見比べてみたりできるのが、良い点であると私は思う。

 

夢を語って、形として残す、というのは素敵なことのようで、羞恥心くすぐられることでもある。

しかし、これも、書く練習である。

恥ずかしがっている暇があるなら、脳動かせ、指動かせ! ですよ。

 

 

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私の夢は、言語学的視点でエッセイを書くことです。

 

大学時代の専攻が、日本語言語学でした。

特に社会言語学の理論をもとに論文を執筆しましたし、卒論までずるずるずるずる、日本語社会言語学を引きずってきました。

引きずり愛の末、卒業論文賞なんてもらっちゃったりしちゃったりなんかして。

はい、自慢です。

 

社会言語学って面白くて、たとえば「ことばの誤用」に焦点を当てるとしても、真っ向から直さなければならない! と対抗するのではなく、

 

 

まあ、そういう含みもこのことばにはあるよね〜〜

ことばはナマモノ。

諸行無常の響きありけり。

 

 

と、寛容な立場で「今」存在するそのままの姿のことばを直視する。

その学問的立場が、なんとなく私にはしっくり来たのです。

学問というのは、正しさだけを求め、主張するものだと思っていたので。

 

そんな、たったの4年間ですが、どっぷりはまった日本語言語学の面白さを、多くの人に知っていただきたい、再発見していただきたいと切に思っているのです。

 

今、世界から消えると一番困るものって、言語で間違い無いと思います。

それほど、大事で、でも身近すぎて、大事さを感じられない、そんな言語に少し目を向けるというのは、誰でも出来ることだし、誰でも楽しめるものではないですか?

 

私には、そう思えてならないのです。

 

 

 

そんな言語にスポットライトを当て、社会に溢れる新しい言語や、新しい構文、文法の新しい用法などについての自身の考えや、見方を面白く、興味が湧くように書きたいものです。

 

 

 

 

言語学的視点からのエッセイ執筆。

この書く練習を糧に、必ず実現する。

したい、する。

 

 

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夢は、口に出すと強い。

 

 

 

という週刊少年ジャンプの広告には、ぐさりとやられました。

やはり、言語は魔法です。

言語の持つ力を信じ、夢を口に出してみました。

 

 

 

 

 

閑話休題、いかがですか?

なんともまとまりがなく、面白みのない。

こういうさらっと書いた文章も、読む方が楽しめるようにするには、どうすれば良いのかしら。

 

勉強。勉強!